浄土真宗本願寺派 光寿山 正宣寺

お見舞い

 「元気な時は何時も、あちこちとお参りに行っていたのに、なんでこんな辛い目にあわなければいかんの。」何度かの手術をして入退院をくり返しながら闘病生活をされている知人を見舞った時、やせた身体を横たえたまま、彼女はこう言って嘆かれるのです。

 一瞬、私は返答に困りました。いくらお参りしたからといっても生まれた時から老病死は避けることのできない問題だからです。まして彼女は他宗派の方です。うっかりした返答をして今以上に悩ますことにならないかと気がかりでした。

 「そうね、何時も熱心にお参りしていたわね。でもお参りしていても誰が病気になるかわかりませんもの。貴女一人が病気になっているんじゃないのよ、元気を出してね」と背中をさすりながら慰めることしか出来ませんでした。

 もう少しなんとか言えなかったのか…。誰もが病気になりたくない、仕事が順調であってほしいと、いろいろな幸せを願ってお参りするのは人間として当然のことかも知れませんが、これは一時的な気休めであって、いろいろないやな事から逃れようとしてお参りしたことが無駄になった時、「神も仏もあるものか」と宗教不信になってしまうかも知れません。

 そんな私たちに如来さまの方から大きな願いをこめて「苦悩する人こそ、たすけ救う。」とはたらきかけて下さっているのです。この不思議なお力に気づかせていただいた時、私たちは人として生まれさせていただいたことを喜び、お念仏の日暮をしたいものです。

 見舞ったと思った私は反対に彼女を通じて、如来さまの大きなお慈悲にいだかれていることを気づかせていただいたのです。

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