浄土真宗本願寺派 光寿山 正宣寺

ごおんうれしや なもあみだぶつ

 妙好人(みょうこうにん)(浄土真宗の篤信者(とくしんじゃ))の浅原才市(あさはらさいち)さんは、現在の島根県太田市温泉津町小浜(こはま)で江戸末期の1850(嘉永3)年にお生まれになりました。

せきしゅ こばまは よいところ ちしきにあわせて 弥陀(みだ)をきく
なもあみだぶつの もんにいらせて

 才市さんの父と母は11歳の時に離婚し、母方の実家に引き取られました。母親は同じ町の小鉄屋と再婚し、才市さんは母の実家に1人残されました。父母と別れ別れになったため、同じ町に住みながら、たまに会っても顔を背きあうことしかできなかったそうです。才市さんの心は、父母を(した)う心と恨みが微妙に交錯(こうさく)したようです。

 晩年、自分の思いを懺悔(ざんげ)した詩に

おやが死ぬればよいと おもいました。なしてわしのおやは 死なんであろうか おもいました

とあります。甘えたい、慕わしいはずの父母に「はやく死んでくれ」と絶叫する心は辛かったでしょう。

 才市さんに仏法に近づく機縁を与えたのは父親でした。父親は妻子と別れた後、手継ぎ寺の涅槃寺(ねはんじ)僧侶(そうりょ)になりました。妻子と別れた心の傷を仏法で慰めてもらおうと思ったのでしょうか。仏法をよく聴聞し慶んでいたようです。貧しいけれども名利を離れて念仏一筋に生きていく父の姿が、年を取ると共に美しく見えたようです。子供の成長を見守り育てることも、一反の田も、一軒の家も残さずに死んだ世捨て人ですが、「なもあみだぶつ」を子供に残した唯一の遺産が、人生を豊かに荘厳していくのです。

 才市さんは80歳を過ぎた頃に、このような詩を作っています。

わしのちちおや 八十四歳(八十三) 往生しました お浄土さまに
わしのははおや 八十三で往生しました お浄土さまに
わたしもいきます やがてのほどに 親子三人もろと衆生さいどの みとはなる
ごおんうれしや なもあみだぶつ

 愛と憎しみが狂い、この世では家族がバラバラに切り裂かれていきました。しかし、み教えに導かれ、お念仏を味わう心を恵まれたものは、その辛い業縁(ごうえん)まで仏法を味わい、確かめる法の縁であると受け止めることができるようになります。それが如来さまから賜った信心の智慧のおはたらきです。父親もお念仏を申しながら精一杯生き、84歳(実際は83歳)でお浄土に帰らせていただきました。母親も私を一緒に連れて行きたかったけれども、連れていけない事情があり、辛かったのでしょう。その母も如来さまに手を取られて83歳でお浄土に帰っていきました。私もやがて親たちが待つお浄土に行かせていただきます。

 3人が三様の人生を終えて、お浄土に生まれさせていただいたら、愛欲も瞋恚(しんに)の心も浄化されて、お互いが清らかな、暖かい大悲の心をもって会わせていただきます。今度は親子3人手を取り合って、悲しい人生に泣く人を救うはたらきをさせていただきます。

 何と尊いことでしょう。何と広々とした大きな世界を恵まれたことでしょうか。

 「ごおんうれしや なもあみだぶつ」と念仏せずにはおれないのです。

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