浄土真宗本願寺派 光寿山 正宣寺

お花見

 毎年桜の季節になると、近くの公園や小学校の校庭の桜がそこを通るたびに目を楽しませてくれましたが、わざわざ花見に出かけてゆっくりと愛でるなんて、ここ数年なかったような気がします。

 先日、久しぶりにさそわれて京都洛北の原谷苑のしだれ桜を鑑賞するご縁がありました。時期が早かったせいか、まだ満開とはいえませんでしたが、樹齢50年の百数十本の紅しだれ桜の美しさは、ほんとうに見事なものでした。

 しかし、人の目を楽しませてくれるこの花もほんの一時、わずか数日の生命だということに誰も気づかないのです。

 親鸞聖人が9才の春、お得度された時、"明日ありと思う心のあだざくら、夜半に嵐の吹かぬものかわ"と詠まれたと伝えられていますが、これは明日桜を見ようと思っていても、夜中に嵐が吹いて散ってしまったら花を見ることはできません。明日桜の花を見ようと思う心ほどあてにならないものはありません。私たちの「いのち」も、この桜の花と同じように明日があるという確証はないということです。

 明日がある、明後日があると今日しなければならないことを明日に、明後日にと先送りばかりしながら生きている愚かな私なのです。そして忙しさにかまけて自己を見失いかけている私に、如来さまは真実に目ざめさせようとしてはたらきかけて下さっているのです。

 2度とくり返すことのできない人生です。如来さまにお育ていただいている身のしあわせをよろこび、報恩感謝の生活を心がけたいものです。

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