浄土真宗本願寺派 光寿山 正宣寺

お仏飯

 まだ小学校低学年だった頃の孫との会話です。「なんかお手伝いすることない?」「じゃ、お仏飯をお供えして」「どんなにするの?」「いつもお供えしてあるようにすればいいのよ」と言って、私は他の用事をしていました。

 しばらくたってお供えしたお仏飯を見て、私は思わず胸が熱くなりました。手をとって教えたわけでもない孫が私より上手に盛ってきちんとお供えしてあったのです。坊守としての私は忙しさにかまけて、こんなに上手に盛って、きちんとお供えしていただろうか?…。生まれてから念仏の道場で生活させていただき、仏様の子としてお育て下さったお陰だと感謝すると共に、私のいい加減さを気づかせて下さったのです。

 お仏壇の美しいお飾り、そして心のこもったお供えは、仏様のお徳をたたえ、お浄土のすばらしさを目のあたりにしようとして行われるものですから、日々のお給仕にも感謝の心を持ってするのが当然の事です。

 しかし、お仏壇があっても誰かの命日だけしかお仏飯やお花をお供えしないご家庭もあるとか、悲しい気がいたします。毎日のお給仕をすることで自然に仏様を中心とした生活にとけこんでいくのではないでしょうか。

 お念仏がなかなか出てこないという方でも、お仏壇の前に行く自然とお念仏が出てくるものです。 これは仏さまのお心が私たちにといているあかしなのです。

 お仏飯を上手にお供えできた孫、おかげさまで今では私より大きく成長して、宗門学校の中学生です。毎日忙しくてお仏飯もお供することもなくなりましたが、報恩感謝の気持ちを忘れずに、素直な娘になってほしいと願っております。

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