浄土真宗本願寺派 光寿山 正宣寺

浄土真宗と大阪商人

 あるご門徒さんの法事でお話をしました。「北御堂(浄土真宗本願寺派津村別院)と南御堂(真宗大谷派難波別院)を結ぶから御堂筋というのです」というと「あっ、そうですか」と驚きの声が上がりました。

 五木寛之氏の「他力」という本にこう書かれています。大阪の基盤は石山御坊(後に大阪城になる)の寺内町で、道修町・船場も寺内町にあった繊維問屋や薬品問屋が発展したといわれています。御堂の鐘の音が聞こえるところに本店を持ちたいという先祖伝来の夢を持った近江の門徒(浄土真宗の信者)商人たちが大阪に出てきて、やがて丸紅とか伊藤忠といった商社もやってきます。さらに繊維とか薬品以外のいろんな企業が集まって大阪の経済を支えました。

 つまり御堂筋は信仰によって支えられた街だったのです。大阪商人はよく「儲かりまっか」「まあ、ぼちぼちでんな」などという挨拶を交わすと言われます。しかし昔は「儲かりまっか」と聞かれると「おかげさんで」と必ず言ったそうです。「おかげさんで」とは仏さまのご加護によってなんとか生きていけることを〈お陰〉と感じて、その〈お陰〉を感謝する思想でしょう。

 そう考えると、大阪商人はじつは根のところに非常に宗教的な心をもった人たちであると言われています。「させて頂きます」も「お陰さま」と感じる浄土真宗から教えから生まれたというのが司馬遼太郎さんの説です。

 『俺が金を儲けてどこが悪いんだよ!』という言葉をいう方がいました。お金を儲けるためには何をしてもよいという考えが、やがて自分自身の大事な基盤を見失ってしまうのではないでしょうか。

 私は生きているのではないのです。回りのいろいろな支えによって生かされているのでしょう。この時代だからこそ「ありがとうございます」「おかげさまです」「恥ずかしいことです」という言葉の深さに触れてみたいものです。