浄土真宗本願寺派 光寿山 正宣寺

掲示板のことば(2025年4月)

この私のいのちにいつも如来のいのちが通い続けている

 4月のことばは、藤澤量正(ふじさわりょうしょう)先生(1923~2012)の著書『ほくほく生きる―九十歳の法話―』(本願寺出版社)の中に出てくる一節です。

 藤澤先生は滋賀県でお生まれになり、鉄道道友会講師、本願寺派伝道院研修部長、同講師、中央仏教学院講師などの要職を歴任。本願寺布教使、滋賀県浄光寺住職として、ご門徒(もんと)教化(きょうけ)されました。

 1995年、喉頭(こうとう)がんの手術を受け、声帯も切除し声を失うことになりました。四十数年にわたり布教し教壇(きょうだん)に立たれていただけに、声を失うことは人生を失った思いだったことでしょう。住職でありながら読経もできず、法話どころかお念仏を(とな)えることもできない絶望感に(さいな)まれる中、「先生の話しておられたグッドマン博士の言葉を実践いただくことを期待しています」と書かれたお見舞い状が届きました。

 それは藤澤先生がかつて講義や布教などでよく話されていた、パラリンピックの提唱者であるイギリスのグッドマン博士の「失ったものを追い求める前に、残されたものの価値を見出せ」という言葉でした。先生はこの言葉によって入院中の孤独と愚痴(ぐち)の心が振り払われたのです。

 親鸞聖人(しんらんしょうにん)のお言葉に、

しかれば、大悲(だいひ)願船(がんせん)(じょう)じて光明(こうみょう)広海(こうかい)(うか)びぬれば、至徳(しとく)(かぜ)(しず)かに衆禍(しゅか)(なみ)(てん)ず(「行文類(ぎょうもんるい)」)

とあります。

 お念仏に出()った一生は、大悲の光明に包まれ、阿弥陀(あみだ)さまのご本願の船に乗せられて、静かにお浄土へと歩み続けます。さまざまなわざわいや悩みの波風におそわれても、阿弥陀さまの智慧(ちえ)慈悲(じひ)に抱かれて、その波風に沈むことなく、おかげさまと慶びに転じて乗り越えさせていただくのです。