浄土真宗本願寺派 光寿山 正宣寺

山本仏骨先生

 今回は、1991年2月6日にご往生された山本仏骨(やまもとぶっこつ)先生についてお話しします。山本先生は石川県の金沢の出身で、正規の学校は小学校しか出ていません。しかし龍谷大学の教授になり、本願寺の勧学という学問で最高の地位までになった方です。

 1918年から20年頃にかけて「スペイン風邪」という悪性の流行性感冒が流行り、お父さんをはじめお兄さんやお姉さんなど兄姉5人が次々と亡くなり、お母さんと小学6年生の山本先生が残されました。そして最後にお母さんが流行性感冒にかかり肺炎を併発して病床についてしまいました。そこにお寺の婦人会の人たちが見舞いに来て、その母親の横で寝ている子どもの姿を見ると涙が止まらなかったそうです。後に子ども1人が残るのが愛おしかったのでしょう。

 そしてお母さんに「あんたこんな子どもを残して死んでいったらいけません」と婦人会の人たちが言いました。お母さんは肺炎で息苦しそうでしたが「私はたとえ死んだとしても、この子から離れてしまうのではありません。お浄土に生まれさせていただいて、そしてお浄土からこの子の生涯を守り続けていくのです」と明るい声で言ったというのです。それを横で聞いていた人たちは「その言葉が凄く印象に残った」と言っていたそうです。そして母親が亡くなると、親戚の家に預けられました。凄く頭の良い人ですから普通なら中学校へ行くはずですが、親がいないので行けませんでした。色々な苦労をされて、最後にお寺へ預けられたのです。それが機縁となって仏教を学び、行信教校へ行かれて凄い学者になっていかれました。

 親戚の家で子どもを背負って子守りをしている時、自転車に乗った中学生が学校へ通っている姿を見て、「私も両親がいたら中学校に行けたかもしれない」と思うと悔しくて涙が出そうになりました。しかしその時「お母さんがお浄土からお前を守ってやる」という言葉が思い出されました。「私には母親がいつもついているのだ、母親がいつも守ってくれているのだ」と思うと勇気づけられました。そして母親から「寂しいこともあるし、つらいこともあろう。どんなことがあろうとも、みんなに可愛がってもらって気をつけて生きるのだよ。きっと守ってやる」といわれた言葉が自分の人生を支えてくれました。「母親の人生を支えていたお念仏の教えの真実を、自分なりに証明して見たいというのが仏教を学ぶご縁でした」と先生はおっしゃっていたそうです。

 "いのち"終えていくお母さんも、そして後に残った子どもも、本当に豊かに支えられていく世界があることを、私は山本先生のお話の中で教えていただきました。そして生と死を超えて、すべてを包んでいく如来さまの慈悲の世界を人生の中で確かめていきたいと思います。

合掌

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