浄土真宗本願寺派 光寿山 正宣寺

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煩悩のお育て

 お釈迦様は「人生は苦である」と言われました。人生を苦と感じ、その人生をいかに克服してゆくのか。それが私達の人生に与えられた課題なのです。

 私たちは「あの人が悪口を言った」といって腹を立てます。しかし悪口を言うのは向うの勝手、怒るか怒らないかはこちらの勝手なのです。しかしそうはいきません。きっちりお付き合いをして、一晩中寝られないこともあります。

 要するに自分の都合の良いものに対して愛欲の心をおこし、自分の都合の悪いものに対して憎しみの心をおこすのです。それも自分の都合によってころころ変わっていくからたちが悪いのです。この心が身を煩わし心を悩ますのです。その心によって私達はどうしようもない苦しみの世界を描き出していくのです。

 これがなくなればよいのです。話はよく分かるのですが「分かっちゃいるけど止められない」というのが現実なのです。

 しかし身を煩い心を悩ます「煩悩」を恥ずかしいと言えるのは、仏さまに出遇っている証拠なのです。日本人の持っている素晴らしい文化の1つが「恥かしさを知る」ということだったのです。恥かしい心が煩悩にブレーキを掛けてくれるのです。

 浄土真宗の教えの盛んなところでは、犯罪が非常に少なかったといわれます。

 もしブレーキのきかない車に乗ったら自分が怪我をするだけではありません。人も傷つけます。だからブレーキが大事なのです。

 この頃はどうも人間にブレーキがきかないようになってきました。

 皆さんも一度、点検してみてはいかがでしょうか。

 「南無阿弥陀仏」

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