聴聞のお育て
仏教では、父を殺し、母を殺すということよりも、むしろ仏さまの教えをそしり、仏さまの教えに関心がないことのほうが罪が重いのです。
ところが世間一般では、父を殺し、母を殺すということはたいへん重い罪とみます。しかし仏さまの教えを謗ったり、関心がないことは罪とは思いません。そして正しい道理に背いていくから、この世はいよいよ秩序のない状態におちいり、恐ろしい罪がなくならないのです。
「盗人にも三分の理」と言われます。ものを盗んで悪いことをしても、理屈をつけようと思えばつけられるのです。理屈をつけて何とか自分を正当化しようとするのです。そして罪を罪と認めないから、罪がいよいよエスカレートするのです。
悪人の救済というのは、私自身にしっかりとした悪の自覚を持たせることです。自分の罪や悪を認めたことが、仏法を認めたことになるのです。
今まで殺人や強盗をすることがなかったのは、私が立派だったからではありません。ただ悪縁にあわなかっただけなのです。私たちは縁さえあれば、何をするかわからない恐ろしいものを持っているのです。
仏さまの教えを聞いていても危ないのに、聞いていなかったらどうなっていたのでしょう。
今は唯、仏縁の尊さを慶ぶばかりです。
「南無阿弥陀仏」