SHOSENJI(浄土真宗本願寺派 光寿山 正宣寺)

インド仏跡の旅(5)

仏教大学跡と霊鷲山

 お釈迦様の悟りの地・ブッタガヤ、できればここで2・3日はのんびりと過ごしたい場所です。そう思いながら過密なスケジュールになってしまいました。分かっていながら、せっかく行くのなら少しでもという煩悩が出てしまいます。

 昼食後は、お釈迦様の時代にマガダ国の首都であったラージギール(漢訳では王舍城)に向けて出発です。バスに乗ること3時間あまりで、まずはナーランダに着きました。

 ここで有名なのがナーランダ大学という仏教大学の遺跡です。この大学は5世紀に建設され、12世紀にイスラム教徒に破壊されるまで、仏教学の一大センターでした。

 この大学には、あの有名な玄奘(げんじょう)三蔵(孫悟空が出てくる『西遊記』の三蔵法師のモデル)も7世紀の前半に滞在され、戒賢に師事して学んだところです。その玄奘が学んでいた頃は、多い時には毎日100の講座があり、1万人の学僧が学んでいたといわれます。その当時としては、世界最大級の大学であろうといわれております。

 現在は緑の芝生が広がっている中に、11の僧院跡と14の寺院跡が残っています。しかしそれらはレンガ積みの基部のみしか残っていません。遺跡の中央に近いところにレンガ積みの城壁を思わせるような巨大な建物があります。

 段を上って頂上にのぼると、少し広くて平らになっています。ここに来ると思い出すのが10年前の旅行です。この年は私が行信教校というお坊さんの学校(というよりも塾といった方がよいのかも?)の卒業の年でした。この時は天岸先生が団長をされており、その時に先生が「インドの卒業式の儀式は、先生の頭の上を飛び越えるんや」と言われました。そして「大野は今年卒業の予定やから、それをやろう」と言うのです。

 私もすぐに調子に乗るほうで、「それでは」といって脆いている先生の上を跳び越しました。そして「何でこんなことをしたのですか?」と聞くと、「先生を越えるような、立派なものになりますということや!」と一言。それを聞いて「しまった…」。今でも、思い出すたびに冷や汗が出てきます。今回も卒業を控えた花岡さんが、先生を跳び越えることになりました。私はその意味を言い出すことができませんでした。すいません。

 午後7時にセントール法華ホテルに到着しました。日本の法華ホテルの系統です。宗教は違っても、目本食が出てくるのが有り難いところです。

 次の日は午前4時50分の起床です。そしてすぐに『無量寿経』を説かれた霊鷲山をめざして出発。バスを降りて30分、山頂に向けて歩きます。頂上にはレンガを積んだ壇が西向きにあり、そこでお朝事と法話です。

 今日の当番は雪山君です。彼のお父さんはガンで亡くなられたのですが、大変ありがたい方でした。告知を受けた後もあちらこちらでお話をされ「あえてよかった」という有名な言葉を残されました。そして最後に「ブッタ・バイ」といわれて命終えられた方です。彼は「父がここでお勤めをしている写真を見たことがありました。そこで私もお勤めをさせていただきました。本当にうれしいご縁です。インドに来て仏跡を訪れ、父がインドに来た意味がわかりました。」と言っていました。

 お釈迦様が2500年前にここで説かれたみ教え「お浄土に生まれると思ってお念仏を申しなさい。かけがえのない仏の子として、決して見捨てることはないよ。だから安心して生きていきなさい。」といわれた言葉を、今、聞かしていただいています。

 お経の言葉は決して昔の話ではなく、今・今・今と説き続けられて、私が今ここで阿弥陀さまの救いの中にあることを説き知らせる経典なのです。その教えに出会えたご縁の尊さを、深く味わうことができました。「この仏法嫌いの私に、教えを聞かせ、お念仏を申す身に育ててくださった。やはり阿弥陀さまの力はたいしたものだ」と。 「南無阿弥陀仏」

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