浄土真宗本願寺派 光寿山 正宣寺

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本願寺の歴史(11)

蓮如上人(本願寺第8代宗主)5

 蓮如(れんにょ)上人は85歳で逝去されるまでに5人の内室を迎えられ、13男14女に恵まれましたが、初婚の年月については詳らかではありません。しかし長男の順如(じゅんにょ)が、上人が28歳の時に誕生していますので、それから推測しますと多分上人の26歳頃のことかと思われ、当時としてはかなりの晩婚でした。相手は伊勢氏の1人、下総守平貞房(しもふさのかみたいらのさだふさ)の娘で如了尼(にょりょうに)(法名)であります。上人との間に4男3女が生まれましたが、夫の晴れ姿を見ることもなく、上人の継職の前々年に41歳の若さで逝去されました。部屋住みの辛労を一身に背負って、もっとも辛酸を味わわれた内室でありました。

 このように部屋住み時代の本願寺は、かなり窮迫した日々が続いていました。如了尼の産んだ7人の子女のうち、長男の順如だけは手元で育てられますが、ほかの6人の子女は里子や喝食(かつじき)(給仕をする有髪の待童)に出さなければならない状況でした。蓮乗(れんじょう)見玉(けんぎょく)蓮鋼(れんこう)寿尊(じゅそん)などは、いずれも南禅寺(なんぜんじ)花開院(けかいいん)などの禅寺の喝食や、浄土宗の尼寺へ所縁をたどって預けられました。また、上人一家は毎日の食事にも事欠く日もあり、1人分の汁を水で薄めて、親子3人ですすりあっていました。上人の衣類にしても、白子袖(肌着)は1枚しかなく、その小袖も袖口にだけ絹をあて紙衣(かみこ)ばかりを用いていました。まして召使いなどをかかえる余裕などはなく、上人は次々と生まれる乳児のおむつまで自分で洗濯していたといいます。成功者の苦労話で、いくぶん誇張もまじっているとは思われますが、いずれにしても楽な生活ではなかったようであります。

 長い部屋住みの苦労をともにした内室の如了尼は、上人が本願寺住職を継職する2年前の1455年11月に亡くなりました。長男の順如は14歳になっていましたが、末の子(蓮誓(れんせい))は生まれたばかりの赤ん坊でありました。さっそく後妻の話が持ち上がり、如了尼の妹の蓮祐尼(れんゆうに)を妻として迎え入れることになりました。家族関係に動揺の最も少ない結婚形式であります。蓮祐尼の年齢はわかりませんが、蓮祐尼は1470年12月に亡くなるまでの15年間に、3男7女をもうけています。夫婦生活においては、最後の妻・蓮能尼(れんのうに)と肩を並べて子宝に恵まれました。3人の男児は上人の跡を継いで本願寺第9世となる実如(じつにょ)上人をはじめ、蓮順(れんじゅん)蓮悟(れんご)といずれも一門の柱石として活躍した人たちでした。

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