SHOSENJI(浄土真宗本願寺派 光寿山 正宣寺)

本願寺の歴史(7)

蓮如上人(本願寺第8世)1

 今回より蓮如(れんにょ)上人について書きますが、主として笠原一男氏『蓮如』、石田充之氏『蓮如』を参考として進めたいと思います。

 真宗といえば本願寺が念頭に浮かびます。また本願寺といえば真宗が思い出されます。真宗即ち本願寺、このような常識が出来上がったのは、それほど古いことではありません。それは蓮如上人の後半生からのことです。その意味で蓮如上人は真宗の中興(ちゅうこう)の祖といわれ、本願寺教団を確立した英主ともあがめられています。しかし、厳密にいうと、真宗の発展は蓮如上人の出現を待って、はじめて生まれたわけではありません。蓮如上人以前に真宗は、すでに華々しい発展をなしとげていたのです。即ち蓮如上人以前に、真宗には親鸞(しんらん)聖人の弟子や孫弟子たちを派祖とする多くの諸派があり、それらの真宗諸派は大幅な発展をしていましたが、親鸞聖人の血脈を伝持する本願寺教団だけが、本願寺の成立以来寒々とした状態で足踏みしていたのです。蓮如上人は、それまでほとんど発展らしい発展をみせなかった本願寺教団を、はじめて真宗教団の中心的地位にまで押し上げた人であります。

 本願寺の創設者覚如(かくにょ)上人(本願寺第3世門主)以後、蓮如上人の前半生ころまでの本願寺の有様を見れば、蓮如上人が本願寺教団の発展の上に果たした役割の大きさが理解されます。覚如上人は大谷本廟(おおたにほんびょう)という親鸞聖人のお墓を守る留守職(るすしき)である限りは、その本廟を各地の門徒の志によって維持するため、各地に勢力をはる真宗有力門徒の意のままに動かさなければならないみじめな立場にありました。覚如上人は、この立場から脱するために本願寺を創設し、親鸞聖人の祖廟を独占してはみたものの、それと同時に親鸞聖人以来の真宗門徒から見捨てられなければならなくなりました。そのため本願寺はその誕生の時を出発点として、教団の勢力を伸ばしていかなければならなくなりました。親鸞聖人以来の真宗門徒を地盤として本願寺の勢力を伸ばすということはできなくなったのです。真宗の中の諸教団が宗勢を競い合うとき、本願寺教団のスタートは、ほかの真宗諸教団より半世紀あまりの遅れをとったのであります。惣門徒の意思にそむいて、親鸞聖人の祖廟を独占した覚如上人の時から本願寺は苦難の道を歩むこととなりました。

 そうした本願寺は親鸞聖人の祖廟をにぎり、その門主は親鸞聖人の血統を受け継ぐという、他の教団の中心者には全くもちえないすぐれた条件を身につけていたにもかかわらず、門徒の増加という点では停滞状態がながながと続くのであります。本願寺へ参詣する門徒はほとんどなく、門徒の志のうえに生活の基盤をおく本願寺門主の生活は、余りにもみじめなものでありました。

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