浄土真宗本願寺派 光寿山 正宣寺

彼岸会とは

 インドにも中国にもなく、日本で始められた仏教行事の代表的なものに、春秋2回の彼岸(ひがん)があります。

 「暑さ寒さも彼岸まで」といわれるように、春の彼岸を迎える頃になると厳しかった冬にも別れを告げ、花の咲き競う春が来て、緑さわやかな初夏に向かいます。秋の彼岸になれば猛暑も収まり、やがて秋も深まっていきます。四季の変化に富む日本で、この春秋の彼岸の好季節を選んで、仏道修行の時期と定めて仏事が行われていることは、本当に意義の深いことであります。

 「彼岸会(ひがんえ)」は春分と秋分の日を中日として、前後の3日ずつ計7日の間に行われる法会(ほうえ)で、この行事は日本だけに見られるものです。聖徳太子の頃より始まったともいわれていますが、平安時代初期から朝廷で行われ、江戸時代に年中行事化したといわれています。また一般の信者はこの間、お寺まいりやお墓まいりをするのが習慣となりました。

 私たちの浄土真宗では、蓮如(れんにょ)上人までの時代は彼岸会は行われていなかったようですが、上人59歳の1473年(文明5年)に吉崎御坊(よしざきごぼう)で彼岸会を修したことが『御文章(ごぶんしょう)』に書かれております。それ以後、今日に至るまで本願寺では絶えることなく、年中行事として7日間、彼岸会の法要が勤められております。

 もともと「彼岸」とは季節を表す言葉ではなく、「お浄土」を表す仏教用語であります。生命を始めとして全てに限りがあり、苦悩に満ちたこの現実の世界の「此岸(しがん)」から、阿弥陀如来のはかりない無量のいのち(寿)と智慧につらぬかれた永遠の安楽国土である「彼岸」のお浄土を渇仰(かつごう)し、いのち終わればそこに生まれることを願うのが彼岸会の本来の意味であります。

 私たちはお彼岸を迎えるにあたり、お浄土に想いをはせ、阿弥陀如来に救いとられていった多くの念仏者やご先祖をしのび、お念仏の人生の確かさ、頼もしさを改めて味わいたいものであります。

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