浄土真宗本願寺派 光寿山 正宣寺

中陰のお参り

 昨年11月に大学の先輩(年齢は同じなのですが?)から、「姉の子どもが亡くなったから、お葬式をしてくれないか」と電話がありました。事情を聞くと、甥は出勤途中の高速道路で事故死したそうで、年齢は28歳でした。

 枕経からお通夜、お葬儀に至るまで、涙の止むことはありません。私自身もお勤めをしながら、ついつい涙が出そうになりました。そして7日ごとの中陰にお参りに行きました。

 中陰は、インドと中国と日本の考え方が重なり成立しました。人間が死ぬと「おしまい」ではなく、次の生を受けます。極善の人は、すぐに天上界へ生れ、極悪の人は地獄へと、すぐに行き先が決まります。しかし行き先が決まらない人は、次の7日目に、良い人は割合と良いところへ、悪い人はそれなりのところへ行くことが決まります。これを初七日といいます。それでも決まらないものは、次の7日目、二七日で行き先が決まります。それでも決まらないものは三七日、四七日、五七日、六七日と、そして七七日の四十九日で行き先が全部決まると考えたのがインドの考え方なのです。これを前の生と次の生とのまん中なので中陰(中有)と呼ぶのです。

 中国では少し広がり百か日(100日は土葬にして白骨化する期間)、一周忌、三回忌まで中陰の考え方が引き伸ばされます。それ以降は日本でできたのだそうです。

 初七日から三回忌まで10人の王がいて、亡き人の行き先が決まるというのが十王信仰という考え方です。その王様の判決を下る日をめがけて、善根功徳を送ることによって、亡くなった方が少しでも善いところへ行くようにと祈っていくことを追善供養というのです。

 親鸞聖人は『歎異抄』に

親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず。

と追善供養の考え方を否定されます。第1に私自身が人に回向するほど善根を持っているのか。自分で自分を救うことのできないような人間が、人に善根を施して救うことができるような身ではないということが、親鸞聖人の考え方です。死んでから人に善根功徳を施してもらって、悪道を逃れようと考えるのはおかしいといわれるのです。

 それでは浄土真宗では、中陰は何のために行われるのでしょうか。それは1つには、遺族の心の傷を癒す儀礼であります。死に別れた家族、親しい人はずいぶん心の傷を受けています。まして子どもが亡くなると、大きな傷を受けます。そんな時に人間の言葉は慰めても結局はむなしく感じるだけです。その人間の言葉が届かなくなった世界を支えてくれるのは「一緒にお念仏を称えさせて頂きましょう。一緒にお経をあげさせて貰いましょう」と言うだけなのでしょう。お勤めをし泣きながら、読経の尊さを、このたび深く感じたことはありません。

 そして仏様の願いの言葉によって、自分のいのちの行方をはっきり知らせたいただくことなのです。生まれてきたものは必ず死んでいくのです。親しい人の死を通して、私が死ぬということはどうなることなのかを学ぶ尊いご縁となるのです。「亡くなった方は不幸になったのではない。お浄土に生れて、仏様となっていかれたのだ。」と"いのち"の行方を知らせてもらうのです。そして逆に、仏様となるものが、今生きていることが、どういうことなのかを、逆に問われているのです。

 浄土真宗の教えは、私の願いをかなえてもらう宗教ではありません。逆に私が阿弥陀さまから、尊いものとして願いをかけられている存在だということなのです。合掌

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